プロフィール

プロフィール

はじめまして。ブログを見てくださってありがとうございます。

清水雪子と申します。

夫・理大(みちひろ)と共に、フリーランスとして複業生活をしています。

私は超・就職氷河期世代のド真ん中で、学歴は高卒です。

非正規の仕事ばかりしていて、正社員の経験はゼロ。

そんな私がオンラインで見つけたのが「コンテンツを書いて売る」という仕事。真剣に取り組んだ結果、半年でわずかな収益が出始め、そこから更に1年で結果を出せるようになって、遂には派遣の仕事を辞めることができました。

 

 

ここからは自己紹介として、私の過去~現在の歴史をざっくりと書き綴ってみようと思います。

Contents

普通の家庭からの転落

私は元々、ごく普通の中流階級で育つ、ただの本好きの子供でした。

朝から晩まで絵本や小説の世界に没頭し、将来は自分も作家になりたいと夢見つつも、何をどうすれば文筆業で食べていけるのか、肝心なことは何も知りませんでした。

そうやって漫然と生きていたある日、電気屋のサラリーマンだった父が突然の脱サラ起業。

飲食店を始めた父の手伝いをしながらの生活は余裕がなく、「書くこと」に対する情熱は薄れていきました。

大人になるにつれ、少しずつ家業を継ぐ決意を固めてはいたのですが……

紆余曲折の末、まさかの倒産という最期を迎え、30歳を目前にして路頭に迷う羽目になったのです。

それから一念発起して就職活動をしたものの、全くうまくいきません。

「今回はお見送り」と書かれた封書の数々。

中には、合否の連絡さえくれない会社もありました。

そんなある日、私は突然激しい頭痛に襲われ、ベッドから起き上がれなくなりました。

後でわかったことですが、この時うつ病になってしまっていたのです。

この時の経験は本当につらかったです…。

派遣の仕事が決まった後は、少しずつ症状は改善されていきましたが、メンタルは回復せず、先々の不安と毎日のストレスでしょっちゅう泣くような日々を送りました。

会社に行くのが嫌だ。

上司は嫌いだし、仕事もつらい。

だけど辞める勇気もない。

暗黒時代でした。

過酷な派遣で7年働く

 

私が最後に経験した、一番長い派遣先での勤務は7年でした。

日本人なら9割以上の人が知っているであろう大企業ですが、私の派遣元は下請けの更に下請け、つまり孫請けでしたので、底辺の扱いでした。

どんなにスキルがあっても単なるバイトの域から出られず、給料は上がりません。

また、所属していた派遣会社自体も超ブラックでした。

休みも自由に取れず、残業はなかば強制のように押し付けられて、自尊心も心の余裕も消えてなくなりそうな日々。

特にひどいのが、出勤当日の朝に熱を出して休んだらペナルティを課せられることです。

だから私は、熱が出ようが、腰を痛めようが、黙って出勤していました。

真面目に生きるのは損なのか

 

ブラック派遣を辞める理由の中でもかなり大きな原因となったのが、

どんなに心身を削って貢献しても、決して報われることはない

という残酷な真実でした。

私の働いていた職場では、社員・派遣の別なく、3通り+αの人間しかいなかったと思います。

  • 出勤しただけでお金がもらえるんだから、別に頑張らなくてもいいや、と適当に働く人
  • 普通に働くけれど一定以上は頑張らない人
  • 責任感が強く真面目で、率先して一生懸命働く人

(これにプラスして、自分の権力を笠に着て好き放題する上司)

真面目な人の多くが、ラクして働きたい人の分まで負荷を背負い、ある意味損をしたまま辞めていくのを何度も目にしてきました。

推奨される仕事への取り組み方は職種や職場によって違うでしょうが、少なくとも私の会社では、「普通に働いて一定以上頑張らない」ことこそが正解でした。

よほどのことがない限りクビにはならないのは派遣も会社員も同じです。

「キミ、明日から来なくていいよ」

と言われそうな勤務態度の人であっても、無断欠勤を連続したとか、言い争いが発展して暴力沙汰になった…など、懲戒処分に値することをしなければクビにはなりませんでした。

真面目にやればやるだけ損をする。

それを言ったらおしまいだと思い、できるだけ考えないようにして働き続けましたが、ある日、無性に悲しくなり虚無感に襲われました。

自分は一体何のために働いているんだろう。

仕事は重労働、人間関係も最悪、困ったことがあっても会社は守ってくれない。

生きていくのに必要な最低限のお金を得るために、なぜこれほどまで我慢しなくてはならないんだろう。

女性は泣くことでストレス解消になると言いますが、私は本当にほぼ毎日泣いていました。

今思えば、泣かないと生きていけなかったんでしょうね。

そんな私に、夫から救いの一言が降ってきました。

「今の仕事を辞めて、自由になろう。生活は苦しくなるかもしれないけど、ふたりで新しい仕事を作ってみようよ」。

忘れていた夢の再稼働

パソコン画面

 

私はインターネット黎明期(当時はパソコン通信なんて言われていました)、趣味の小説を書いてアップしていたことがありました。

それなりに読者は増え、やりがいも感じていましたが、自己満足で終わってしまっていたのも確かでした。

なぜ、書くことがお金にならないのか。

面白い文章を書くことができていても、相手の心を動かし、お金を払ってでも読みたいと思わせる力が足りなかったのです。

独学でさまよった1年間

 

もっと文章を磨こう。そしてたくさんの人に読んでもらおう。

遠い昔の情熱が再燃した私は、夫と二人三脚でブログを始めました。

最初はうまくいかず、何をするにも手探り状態。

初期投資を回収できないまま時が流れました。

試行錯誤の末、やっと収入が発生するようになっても、月に1,000円がいっぱいいっぱい。

多くの人が3ヶ月以内に辞める。

更に多くの人が半年で辞める。

1年後には9割が辞めている。

そんな話を聞いたことがあります。

私たちも、何度ももうダメかと思いました。

しかし、辞めてしまっては今まで積み上げてきた全てが水の泡になってしまいます。

勉強に明け暮れた日々

 

上手に書くことができても、人が来てくれなければ意味がない。また、読者が「読んで良かった」と思える記事でなければ何の価値もないことに気づいた私たちは、オンラインスクールを受講し、指導を受けるために大金を支払いました。

貯金もほぼない夫婦の、ふたり合わせた月収を超える金額。

よくも出せたものだと、我ながら感心してしまいます。笑

かくして私たちは、貪るように勉強し、今までやってきたことの中で間違っていたところを直しました。

単に上手い文章を書く目標から離れ、思考の方向を変えました。

無駄な努力をやめ、読者の利益を最優先に考えるようになると、まるで霧が晴れていくように解決策が見えてきます。

更に1年後、遂に、夢見ていたことが叶う日が来ました。

開業届を出した日の胸の高鳴りは、きっと一生忘れません。

 

自分を発信しながら生きる

私たちは今現在、ブログを運営しながらコンテンツ販売のためのマーケティングに取り組んでいます。

動画全盛期と言われるようになって久しいですが、やはり大切なのは「相手の心に響く文章」をいかにして届けるかに尽きます。

もともと人見知りで社交的な付き合いが苦手でも、書くことなら誰にも邪魔されずひとりで黙々と作業できます。

朝早く起きて仕事に行き、そりの合わない上司と顔を突き合わせ、体に負担のかかる作業を繰り返す日々から解放されたことで、心身共に元気になりました。

今の生活様式になってから、夫婦仲が更に向上したことも、予期していなかった嬉しい効用です。

 

 

そんな訳で、今の生活には非常に満足しています。

もちろんひとりで出来るのがインターネットを使った仕事の利点でもあるのですが、夫が支えてくれることで、作業ペースにおいても精神的な面でも助けられています。

私たちは、これから走り始めるあなたの伴走者にもなりたいと思っています。

  • ネットビジネスを始めたいけれど、ライティングに自信が持てない
  • 会社での仕事以外に収入の柱を作りたい
  • ブログを頑張っているのに収益化できない

このようなお悩みがありましたら、当サイトのメールまたはツイッターDMにてご相談を受け付けています。

まず何から手を付けていいのかわからないという場合でも、ご遠慮なくお尋ねください。

ライティングを磨いて仕事に活かそう

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